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2007年08月21日
そんなにいつも被害者であり続けるのか。
人から受けた不正をいつまでも思い続けることは常に有害であり、そのうえ、たいていは無益でもある。
そういう考えを急いで払いのけて、
そのために、元気を失わないようにするのが、
一番よいことである。
(カール・ヒルティ)
『左手の証明』という痴漢冤罪事件の本を読んだ。
権力への怒りが沸騰し、自分の身に置き換えれば、今日の話題に絡められるはずもない。
「だれだれを救う会」とか「○○を断じて許さない集会」という同志の集まりが結成されることがある。
これ、もちろんすべてを否定するわけはもちろんないのだが、なんか「ひたすら反対し・ひたすら許さない」ことが目的になってることがありはしないだろうか?
ここではどのグループが何について反対するのが愚かしいとか、間違っているとかは議論しない。
朝礼ですからね。
仕事上のことに目を向けて見ましょう。
ヒルティの言葉がいつでも正しいはずはありません。だが、ヒルティの言葉を思い出し、 この状況はヒルティの言葉を適用すべき瞬間である、
と判断できるかどうか。
精神衛生という言葉を理解しようとしない人たちもいます。
「被害者」でいることに安穏とし、被害者は被害を受けているのだから 当然生産的な行動はできない、と居直るかのような態度に出る。
「我々は被害者なのだ!」
そうして座り込むことが何かことを前進させるのであろうか?
これ、私は衛生的でないと思う。
私たちが「人間として善く生きる」選択をするとき、
被害者であることを主張するだけがいつもベストとは限らないのではないだろうか。