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2007年01月26日
感謝の気持ちが生まれるとき
「だって、やり方が分からなければできません」「そんなすごい方法、ネットで見つけたんですか?」
「誰かに聞けば、スグ教えてもらえるだろう?」
また「昔は良かった」という老人の死ぬ前の日記みたいですか?
もちろん簡単な調べものでなくても、今はインターネットでなんでも情報を仕入れられてしまいますよね。
しかし、ネットでも分からないことは存在する。
それを、<カタカタカタ・・・検索!>みたいに、簡単に必要な情報に辿り着こうとする傾向がすごく強くなっていないか?
つまり、じっくりと考えることを避けているような。
スグ、「どこかに答えがあるはずだ」と「解答」だけを追い求める。
その結果、人は「感謝」しないのが当たり前になる。
「それって、どうせネットで調べたんでしょ」なんて。
「道のありがたみを知っているものは、
道のないところを歩いたものだけだ。」
(大島亮吉・登山家)
どうでしょう、この言葉私はすごく好きなのですが。
感謝する気持ちが現代は物凄く薄れていると思うのです。
「解答」なんかスグ見つかるもんじゃない。
むしろスグ見つかるものは「解答」なんかじゃなく とりあえず「一例」に過ぎない。
「嗚呼、そういうことが考えられるからこの場合はこうか!」
ここに至るまでは、道のない山の中で羅針盤を見つめ、あるいは星の動きを頼りに、
何時間もある時は何日も彷徨う。経験と知識を総動員して、道を捜し求める。
そして長い苦難のあと自分の目の前に広がる道を発見する。
そこに「感謝」が生まれるのだと思うのです。
2007年01月18日
宝はどこにある?
「つまんないことに関わっているんじゃない、大局を見ろ」「それはウチの不利益だ、見ない振りをしておけ」
「そんな仕事はよそへ回せ、利益が薄すぎるぞ」
ペコちゃんで親しまれたというか、リアルタイムで馴染んでいた菓子メーカーの不祥事であります。
「驕り」「同族経営の甘さ」「企業体質そのものに欠陥」とついには
「食品を扱う資格なし」の烙印を押されてしまった。
確かに食中毒を出していながら、人数が20人以下だったから公表しなかった、というのはマズすぎるなあ。
この事件に当てはまる教訓を探せないかと見ていたら、神田語録にありました。
「目の前で起こっていることは、
すべて『宝』である。」 神田昌典
自分の商品から食中毒が出て何が『宝』なものか!とお叱りを受けるでしょうか?
成功者と言われる人、また賢者の部類に入る人は、
目の前で起こっている出来事が、 すべて将来の成功に繋がっていることを確信しています。
つまり、どんなに都合の悪い出来事が起こっても、その意味を解釈し、 将来の理想像のために、いますべきことを判断しているわけです。
クレームの話をしたときもそうでしたね。
人間、崖っぷちに立ったとき、その境遇は自分にとって偶発的なものではなく、「必然」として起こった、
と腹をくくり、その場で『出来ること、しなければならないこと』を全力で実行すればよいのです。
その実行すべきことが
「あいつがやったんです」
「秘書がやったのでわかりません」
というのは崖から落ちてもらう以外にありませんが。