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2006年06月30日
人間関係を悪くするきっかけ。
「あの人はうそつきだ、注意したほうがいい」「あの営業マンは時間を守らない人間だから覚えておけよ」
「彼はこのフィールドの仕事はできない。他に当たろう」
それって、誰が決めたんですか?いつ決まったんですか?
あからさまに否定の断定して事を運ぶ人がいます。
「狼少年」を庇うわけではありません。
たとえば「あの人を知らない」貴方が、
「あの人は約束を守らない」という《事実》を植え付けられるとどうなるでしょうか?
本当に、「あの人は約束を守らないのか」。
人間は、一度浮かんだ自分の思考に振り回されます。
「あの人は・・・な人だ」
そして、他人にもその思考を無意識に植え付けてしまう。
「あの人は・・・な人なんだ、よ」
この《事実》は、《真実》だろうか?
「真実は、常に優しい。」
神田昌典
もう一度言います。
本当に、「あの人は約束を守らないのか」。
いつも、絶対に?
この表現だけが一人歩きしてしまい、人を傷つけ、自分も傷つくことになる。
事実とは真実ではない。
真実が事実の裏にある。
真実を知ることで、人は優しくなれる。 したがって、貴方は傷つくことはないのだ。
投稿者 shacho : 15:16 | コメント (0) | トラックバック
2006年06月23日
そのプライドってなんかの役に立つんですか
「そんな仕事、オレのプライドが許さねえ。」「企画部の人間がそんな仕事して、よくプライドが許すわねえ」
「こんな仕事プライド壊れるよ、バイトにでもやらせたら」
プライドにこだわる人って、何様なんですかね。
だいたい、仕事に貴賎なんかないじゃないですか。
こういう口癖の人は、すべての仕事に愛情がない。
たしかにプライドを威張っていられた時代もありました。
今の時代、プライドを口にする人ほど寂しい感じです。
「ダメな奴は自信は無くすが、プライドを捨てられない。 デキる奴はプライドは捨てても、自信は無くさない」
マーケッター・ナガオカ
ネットでだいぶ成功しているといわれる長岡さんのメルマガで配信された言葉です。
若い方ですが、一つの真理を衝いていると思います。
つまり、こういって「俺たちはできるほうに入ろうぜ」、と促している。
プライドが大事に思える瞬間も確かにあるかもしれません。
それは「人間として、そんなことやるもんじゃない。」と思えるような事。
でも「オレのプライドが・・・。」
って口に出すのは、大抵、相手や対象を卑下していることが多い。 次の一言が「そんな奴等と一緒じゃない」なんてね。
そう口から出た瞬間、その人は「そんな奴等」以下になっちゃったんですけどね。
プライド振りかざすの止めにして、自信をもって、今できることを寡黙にやっていきましょう。
それが、今の自分の仕事に対する愛情だと思うのですが。
投稿者 shacho : 19:21 | コメント (0) | トラックバック
2006年06月16日
脈はありそうですか?
「今度の交流会では他社より1枚でも多く名刺をもらおう」「何しろいい人脈がなければダメだ、成功者と仲良くなろう」
「あなたは人脈が豊富で羨ましいですね、私なんか・・・」
いいですね人脈があると。なんかビジネスが広がる気がして。
さて、そんなに人脈って必要ですか?
そもそも人脈ってなんです?
「オレはあの大クライアントの役員とつーつーなんだ。なんかあったらいくらでも相談に乗ってくれるさ」
こういう人脈、役に立ちますか?
その人、もう仕事持ってないでしょ。
「人脈はいらない」
斉藤一人
「人脈なんていうのは、いらないんです。」と斉藤さんは言います。なぜか?
考えてみましょう。
冒頭の3人は人脈という言葉のどこかに、
「人に頼ったら何かできるのではないか」
という気持ちが存在しているんですね。
自分で徹底的に突き詰めたことがない。自分の姿勢が他力本願だということが見えていない。
「できない理由」を考えると、自分のやるべき行動を見るのではなく、
「人脈がないからだ」と言って回避する。
要するに逃げてるんです。
人脈作りには物凄いエネルギーを使う人は、「人脈作ったぞっ!」って満足したりしますが、 その脈はよっぽどのことがない限り長く続きません。
「人脈」と言うのは結果としてできるものだと私は思います。
徹底的に自分ひとりでがんばったときに、ついてきてくれた人、気付いてくれた人が人脈じゃないでしょうか。
親しい友達のこと考えたらすぐ分かります。
ほら、あなたの親友は「何、悩んでんだよ!」って向こうから声掛けてくれるでしょ。
これが人脈。
投稿者 shacho : 17:57 | コメント (0) | トラックバック
2006年06月13日
ミスがいけないんだ、ミスをするな!
サッカーは残念でしたね。 私のうちはテレビがないし、サッカーにも興味はないので結果は朝のラジオのニュースで知りました。好きな人は本当に悲鳴を上げたそうですね。
「日本のチームはミスが多かった」という記事も目にしました。
「そのミスは命取りだ、原因を究明しろ」なんてことも言われます。
「ミスの回数を正の字で書いて日報で報告しろ」という会社もあると聞きます。
さて、ミスとはそんなに槍玉に挙げられることでしょうか?
確かに不注意から来るミスを何回も繰り返すのは感心できませんが、 私の会社では2回までのミスはよっぽどのことがない限り叱ることはありません。
サッカー日本代表のミスはそんな生ぬるいミスだったかどうか私は分かりません。
ただ、今日はこんな言葉を思い出しました。
「一度もミスを犯していない人間は、
たぶん何もしていないのだ」
リタ・エメット
そう、チャレンジする限りミスは起こる。そこでそのミスの原因ばかり追究すると 萎縮してチャレンジしようとするモチベーションは限りなく低下する。
ミスは起こるかもしれない、だが次に出来ることを考えましょう。
そうしないと人生張り合いありません。
ミスの追及ばかりする人は、過去を追いかける人だと思います。
投稿者 shacho : 20:13 | コメント (0) | トラックバック
2006年06月06日
しゃべるしゃべるは、嘘ばかり。
いやはや良くしゃべりましたね。タイホされる直前の人間が、よくぞこんなにしゃべりますか、というほどの饒舌ぶり。
後から後から出てくる言葉が、あれも嘘、これも嘘、にしか聞こえません。
18世紀の法学者は250年以上も昔にこんなことを言っています。
「人間は考えることが少なければ少ないほど
余計にしゃべる」
モンテスキュー
アメリカ独立やフランス革命に多大なる影響を与えた思想「三権分立」。
モンテスキューは『法の精神』でこれを説きましたが、モンテスキューのこの言葉は、熟考してモノを述べようとする人は、必然的に言葉は少なくなってくるものだということでしょう。
また、自分で「プロ中のプロ」なんて言うのも「驕り」が染み付いた物言いじゃありませんか?饒舌な人には楽しい人もいるが、こんなフレーズがひょいと出ると饒舌な人には中身が乏しい人も多いと思わせます。
オツムは確かに良いのかも知れませんが、人間としてはいささか考えが少なかったようですね。
投稿者 shacho : 19:50 | コメント (1) | トラックバック
2006年06月02日
久しぶりに跳び箱を飛んでみよう
「失敗すると、飛ばされるかもしれないよ、やらないほうがましだ」「こんなプロジェクトは前例がない!恐れを知らないのにもほどがある」
「今度の勉強会は敷居が高いんだ。モチベーションのレベルが違うよ」
自分が挑戦できる「踏み切り台」を目の前にしているのに、「助走の体勢」に入らない人が実に多い。
跳び箱ですよ。
いわゆる「守りに入る」のですね。
「僕は飛べないや、あんな高いやつ」
そりゃ、怖がっていることをやらなければ「怖くはない」。
でもね、これ、 癖になるんですよ。
そして、気がつく怖いことに向かって走り出している人を笑ったり、批判したりする。
そうやって、動かない自分を正当化するのです。
来週は、恐れを一つ消してみませんか?
「恐れていることをやりなさい。そうすれば間違いなく恐れは消滅する。」
エマーソン
やってしまえば「なんてことがない」ことが多いのは、あなたはよーく知っているはずなのです。
この、恐れを消して行く行為は、それが恐ろしければ恐ろしいほどカラダの中に快感をもたらします。
征服の快感というやつです。
苦手な取引先に早く出さなければならない提案書。
賛同者は10人中3人だが社運をかけたプロジェクト。
申し込んだ勉強会はネットの錚々たる面々だった。
さあ、あなたが恐れを消すのは、あなたが「今」走り出せばいいだけです。